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融和から分断、分断の中での融和を描く 『子どもたちの階級闘争』ブレイディみかこ

 イギリスの「底辺」の託児所の物語。そこには「親子3代にわたって生活保護を受けているダイハードなアンダークラス民」の母親や、「才能はありながら社会でそれを換金できない」おばちゃんらが登場する。なにやら救いようがなくてどうしようもない人物の集まりように聞こえてしまうが、この託児所は、母親が働く(あるいは働くための教育プログラムを受ける)ために子どもを預けているのだ。この託児所を離れるときはすなわち、子どもが施設に送られて、親子別々になるときだ。親子が親子でいられる最後の砦として、この託児所は存在している。

 この託児所で描かれる親子の愛は難しい。DV疑惑のある母親と、画用紙に赤と黒の絵の具で塗りたくって、ハサミで穴を開けまくったバイオレントな絵を描く、笑わない子どものアリス。それでも母はペット屋のウサギの前で笑うアリスを知っている。親も不器用であれば子も不器用だ。この不器用さは読んでいて歯がゆい。でもこの親子は歯がゆさがないほど器用に生きていれば、ここにはいない。

 そんな託児所に預ける親、預けられる子ども、そして託児所のスタッフ、それぞれが微妙なバランスを保って融和している中で、「緊縮政策」「予算削減」という政治要因でバランスが徐々に崩れて、分断されていく様を描いている。衣食足りて礼節を知ると言ったものだが、カネや予算がつくとある程度は心も落ち着く環境が作れることを、筆者は現場から描いている。

 一方で、託児所の子どもは言う。

「大人になったらベネフィット(注:生活保護)をもらって、たくさんチョコレートを買って、一日中好きなテレビを見て暮らすんだ」(p198)

 福祉政策が、自分で生きていくという感覚がそもそもない、いわば国に生かされているといえるような価値観を与えてしまっているところにもさじ加減の難しさがある。

 底辺託児所の現場から、融和と分断を描くという重いテーマであるにもかかわらず、筆者は独特のリズムを持った明るさの文体で、苦しさなくテーマを読者に伝える。

「いいねえ、なんか気持ちよさそう」
 私も彼女たちの脇に大の字になって寝ころぶと、女児たちはいよいよ大声で笑い始めた。(中略)いつも孤立しているジャックが他の子どものすることに反応を示したのは初めてのことだった。
 それをみてこちらも愉快な気持ちになり笑っていると、庭の柵の向こう側から英語教室を終えた移民の母親たちが不審そうな顔をしてこちら側に歩いてきているのが見えた。
 問題、山積み。
 と思いながら私は起き上がった。
 ふと見下ろせば、手足を思い切り伸ばして大の字になった子どもたちの姿は、地べたに落ちてきた星々のようだった。
(p76)

 星々には輝いてほしい。そのための環境づくりと、寛容をもちたい。

ブレイディみかこ 『子どもたちの階級闘争』